明暗法/スキアグラフィアーskiagraphia が絵画の問題として意識されたのは前 5 世紀末頃、アポッロドーロスApollodoros とゼウクシス Zeuxis による。その意識が衰退したのは、光や影に関してぞんざいな表現がポンペイPompeii、ヘルクラーネウム Herculaneum などの壁画(前 1 世紀〜紀元 1 世紀) やネロー Nero の⻩⾦宮 Domus Aurea の壁画(紀元 1 世紀)に⾒られることから、紀元前後のことではないか。
その後紀元 1 世紀〜3 世紀前半に第 2 期ソフィストたち(その⼀⼈フィロストラトスPhilostratos は 3 世紀前半)の影響で、前 5~前 4 世紀のギリシアとりわけアッティカ⽂化の復興が起こって明暗法も復活したが、3 世紀後半以降最終的に衰退した、という流れではないかと思われる。ピアッツァ・アルメリーナの遺跡の構築は紀元 300-330 年頃(OCD 4th ed., 2012, s.v. Piazza Armerina)。